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ようこそ、

2011年2月に、こちらのブログにお引っ越ししてきました。
旧ブログはこちらから。

2011/04/22

全部選んだ

「日常のすべてを扉にして開けていく」、その言葉が深く入ってきた。そしたら、今日一日だけでもどれだけの扉をやり過ごしているかがその場その場で見えてきた。
そこで私は、開けていくことを選ばなかった、いや、開けないでやり過ごすことを選んだんだ。
ただそれだけなんだって感じる。それ以上でもそれ以下でもない。いつでも選ぶことはできた。
いままでだったらゆらぎと感じられないような、微妙なゆらぎ、たとえ意識にとらえられたとしても、一瞬で、すぐに無意識の中にに沈んでいって、すっかり忘れてしまっていたような、ほのかなバイブレーションそれらのいくつかが今は全部潜在的に手放していくことになっているものだってとらえられる。
だからこういう見え方をするようになってきたんだって感じる。

本当に宝の山だ〜!

なんてエキサイティング!
ワ〜〜〜!!!!!って叫びたいくらい。
すご〜〜〜い!!!

どんどん開けていくぞ〜〜!!!

2011/04/19

カチッと

今まで捉ることをしないでたくさん形にしてきた、中途半端も、本来の私の行き先からずれた外向きのエンターテイメント性も、もうおわりにしていく。

今回大きく形にして、見えた。

これは充分楽しんだ。

そう決めてたら、ばーんと見えた巨大なやじるしを手放した。
あとからあとからたくさん出てきているバイブレーション、やっと大きく手放していっている。


2011/04/18

あたらしい惑星の学校

初めてクラスにリアル参加した翌日
ストリーミングを見ながら統合をしたら
「そうなんだ」っていう体験の場所にいた

私は海を渡る鳥

そして目下に広がる海

広がる空

真っ赤に溢れ出す溶岩

喜びにあふれて

豊かな森

しぶきを上げる滝

東京の街

あの地震

大きな波

あの海岸

私は地球

銀河

それを包み込む宇宙

全部私だった

私が宇宙

私がすべて

あたらしい地球の学校
そうなんだ。わたしは宇宙ですべてなんだって、今回こそは、
体を持ったまま思い出して、そしてすべての瞬間それを生きるって決めて、待ち合わせていたんだった。

それを思い出して、約束通りここに来たんだよ。

2011/04/12

正面に持ってきて

あさってに東京へ発ちます。
大きなものをたくさん出しては、手放していっています。

二極があってその間を行ったり来たりして、一喜一憂する生き方、
本当に長いことして来たんだな。

山あり、谷あり、

成功、失敗、

できる、できない、

通じる、通じない、

「分かってもらえて」「嬉しい」とか、

「分かりあえなくて」「分離」を感じたり、

使っていたものすごく古い、錆ついてみえるバイブレーション、あれやこれやあらゆるやり方で、ガチっと、上がっていかないようにしていた。

すごいたくさんどんどん出してきて、どんどん手放している。

急流を、カヌーで、オールをさばいて、もみくちゃででも下っていくように感じていた、そしてうまくそれをさばけていることに力を感じたり、満足したり、充実感すら感じていた。そういうイリュージョン、それを映し出して、対処して、できたら次の課題って、そういう、楽しみ方、価値の感じ方。

そういうのも全部自分で選んでやってたのか〜。

しみじみ、

そして、なんだか微笑ましい。

よくやってたな〜。

そこを後にして、大きな自由な自分で存在していくことにとてつもなくワクワクする。

2011/04/05

毎瞬100選べる

「毎瞬100選べる」その言葉を響かせる。
わきあがってくる深いワクワク、エクスタシー。
そしてそういうときにはいつもイルカ達が一緒にいる。
今もずっと一緒にいる。
時間とか空間て、なんて柔らかく、ほんとうに、まぎれもなく私たちの地球の概念のなせる技だったんだろう。

ブルーと、ひかりと、イルカたち。

2011/04/01

外向きのやじるし

外向きに意識を使って、結果を求めるとか、人に分かってもらいたいとか、本当だと思うことを話すのに、人を選んだりとか、すっごくやってるんだなあって。

外に意識を向けていなかったら、この人とは自然に本当のことはなせるけど、この人とは話づらいとか、そういうふうに感じられないはずって。

でもそういうシチュエーションを避けずにたとえめっちゃ外向きでぶっきらぼうになってもどんどん話して、起こして、外向きを出して、手放していく。

ここ数日やっとすこしずつその角度が入ってきました。

なるほど~、今までまだまだ思いっきり、それが出ないようにそういうシチュエーションをさけて、本当だと感じることを人を選んで話したりしてたんだ(!)

って気づいてきた。

だから一人でいたくなったりしてたんだ(!)

って気づいてきた。

それって、自分の家の裏庭が全世界だって自分を言いくるめてたみたいなものだなあ。って書きながら感じてる。

いま、外向きの矢印をすっごい数手放していっています。

そうするとますます確かにそういう場面がどんどん出てきて、ますます外向きを出して手放せる。

おもしろ〜い。

ほんっとうに長い歴史だったんだな〜。

こうやって自分の方に意識を戻していく。