3月24日まで、3週間インドに滞在している予定でしたが、3月7日にフランスに戻ってきていました。
インド滞在3日目の朝、
どこに行っても、誰と会っていても、一人でいても、待ち合わせ場所は私のハートだった。
すべてに、すべてに、この無限のエッセンスの脈動を見て、感じ取ること、それを本当に始めるときが来たんだと感じた。
それを本当に、ふか〜く腑に落ちるために今回インドまで来たことがわかって、
予定していたようにあと2週間半、旅を続けるのが、しっくり来ない感じがし始めた。
その日の午後、家族から連絡が来て、娘のみようのことをわたしの旅行中見てくることになっていた夫のファブリスのお母さんが、みようを車に乗せて交通事故にあったこと、みようはまったく無傷だけれども、お母さんは事故の衝撃で脊椎に損傷があるかもしれないので、病院で絶対安静になっていることを聞きいた。
帰ることをきめたとき、自分の内側と、外側に何のギャップも存在しなくて、すべてとつながっていることを実感した。
うまく言い表せないけけれど、距離も、関係ない、わたしは、大きな命を構成する細胞のひとつとして、宇宙がひとつの大きな命として、みんないっしょに呼吸がおきているその感覚がすごくリアルだった。
そのときに、不安とか、心配っていうのが、いかに分離からのイリュージョンだったことがよく分かった。フランスの病院にいるお母さんも、みようも、家族も、みんなも、そして、インドにいるわたしも、宇宙も、分離がなく、距離もなく、時間差もなく、大きな命の一部として呼吸がおきていることを感じた。
その時の感覚を言い表すのに「信頼」っていう言葉も、まだ距離がある。
「だってそうなんだから。」っていう感じだった。
今回インドで身近に触れることのできたアンマ(Sri Mata Anandamayi)、イサ・スワミ(Isa Swami)の存在は本当に素晴らしかった。
「さあ、今度こそ、あなたの生活の場で、すべてに、このエッセンスを見て、生きてごらん。」そう背中を押してもらったように感じた。
いっしょに旅をした、Surayaのメンバーのひとりひとりの存在がわたしに生き生きとしたインスピレーションを与えてくれた。
そして私にとって、旅行中、旅行後、みたいな感覚ではなくて、すべてつながっている。
それから3週間、みようは元気いっぱい。
ファブリスのお母さんは今年に入ってから、天使に惹かれていて、「天使をもっと近くに感じながら生活していきたい。」って言っていた。
いま、事故の以前とほぼ変わらないくらいに回復して、周りの人たちに「車があれだけ大破したのに本当に奇跡だ。」って言われながら、この事故がきっかけで、「自分を見守って、助けてくれている天使がいることがはっきりわかった。」って言っていた。
ゆっくりと呼吸する。わたしに息吹を与えているエッセンスを内側に、そしてあらゆるところに感じながら。
そしてもしこの呼吸を見失っても、それだけのこと。
自分に寛大になって、
すべてをゆだねて、ゆったりとしていよう。
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