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2011/03/13

「わたし」と「彼ら」という分離のないところから


今日本で起きていること、世界で起きてきていること、

それを前にして、わたしはこのところ、自分のなかで、いまの私がリアルに感じていることと、今まで教えられて、同意して習慣としてとっていた反応の仕方のあいだで引っぱりあいみたいなことが起きているのを感じていた。

でもそれを声に出すと、すっと、あの分離のない場所に戻ってくることを体で感じられた。


やっぱり今回だって例外ではなく、内側に意識を戻していって、今起きていること、わたしが目にしている光景すべてに「創造」というレベルでわたしが関わっているということ、意識を使ってきたということを引き受けて、手放していくこと。

外に向かって、走っていくのではなくて、ここ、「すべてはひとつの場所」「かれら」と「わたし」、「あそこ」と「ここ」という分離のない立ち位置に自分を戻していくこと。

今まで使ってきた地球の制限のバイブレーション、生き方のスタンス、申し合わせた反応のしかた、価値判断をベースにした「つながり」を手放して、分離のない場所に立って、私にとって本当の音を出して響かせていくこと。

それが、「わたし」にとって、「かれら」にとって、「地球」にとって、「宇宙」にとってわたしができるベストだということが感じられる。
というか、そういう区別じたいが幻想だっていうことが感じられる。
それらの間には、違いがないことを知っているこ場所にみんなで立っていくことができる地球になってきていることを、ありありと感じる。

そこからは、果てしなく広がっていく光のネットワークが見えた。
それはすごい早さで、どこまでもどこまでも無限に広がっていく。

今までの、「制限」や「概念」、「申し合わせ」、分離というイリュージョンからのつながりで響き合うことを終わらせて、手放していくこと。

今起きてきていること、今まで起きたこと、私たちが見て、聞くすべてのことに私たちが気づいているいないに関わらず「選択」、「意識」に関わりなく起きてきていることはひとつもない。今回の地震とそれに続いて起きていることも、今リビアで起きていることも、例外ではない。

だから他でもないわたしたちひとりひとりが、この地球の歴史、今までのありかたを終わらせていく。ひとりひとりが「創造のもと」であるということを思い出してそこからこの惑星を創造していく。
「制限」や「概念」を手放して、本来の自分として音を出して、行動していく。

その分離のないところに立つということと、「祈り」の間には、何の違いもないということ。
「祈り」というのは、行為ではなくて、存在のしかただっていうことをリアルに感じられる。

わたしはそこに立つことを毎瞬、選んでいく。

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