日曜日の午後、子供のように無邪気に、響き合って、みんなで外向きの大きなやじるしを統合した。
そしたら、そのすぐ前の私が、あしもとの下のほうに小さく見えた。
どんどんのびのび、自由になっていく。
「ひとつひとつのシフトを、違いの大きいものにしていくと、シフトしている実感を感じることができる」、というようなことをバシャールが言っていた。その言葉が最近ずっと残っていた。
その日の夜、私はまたしても現実に思いっきり走り込んでいった場面があった。
でもそのときに初めての感覚を覚えた。
あたまでは、今までの習慣通り、感情を外にくっつけにいく私、同時にそれを、すこし離れたところから見ている部分もある。その感情はもちろん感覚として、体でリアルに感じるところにいた。
でも、ふっと、突然、広がりを感じて大きくなっていくような、軽くふわふわしていくような,自分にどんどん力が戻っていくような、自分につながってるときの圧倒的な「あの感覚」が入ってきた。
あたまは、相変わらずギイギイと音を立てそうになくらい、外向きに感情をくっつけている、また一方では、それを離れて見ている目線とが引っぱりあいみたいになっているのに、
その最中に、肝心の感情、感覚として感じるものが、なんと体から溶けてなくなっている。
あたまは、相変わらずギイギイと音を立てそうになくらい、外向きに感情をくっつけている、また一方では、それを離れて見ている目線とが引っぱりあいみたいになっているのに、
その最中に、肝心の感情、感覚として感じるものが、なんと体から溶けてなくなっている。
ふわ〜っと広がり、軽くなり、そして深いところからワクワクがわき上がってきた。
それなのに、まるであたまの一部がそれにについていけてなかったみたい。
こんな経験は初めてで、不思議だった。
あたまの一部は相変わらず、昔ながらのゲームを続けようとしているのに、
感覚は自由に解き放たれていて、そっちにつながっていくと、どんどんワクワクが強くなっていった。
感覚は自由に解き放たれていて、そっちにつながっていくと、どんどんワクワクが強くなっていった。
笑えるけど、私の頭の一部はそれでもしつこくギイギイやってた。
なんだか二つの現実に片足ずつ立っているみたいだった。
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